エッセイEssay

新たな研究室を開くに当たり

1987年に東北大学大学院歯学研究科で免疫学の研究を始めてから15年,昨年9月1日より秋田大学医学部生体防御学分野(旧寄生虫学講座)で研究室を開設させていただきました.私はこれまで素晴らしいボスのもとで薫陶を受ける機会に恵まれてきました.講義中,「免疫学には夢がある!」という熊谷勝男先生(東北大学名誉教授,現ティーセル研究所所長)の一言がこの世界に入るきっかけでした.熊谷教室で熊谷勝男先生と安保徹先生(新潟大学医学部教授)には,免疫学の醍醐味とお酒の嗜み方をご教授していただきました.1992年に東北大学を離れてスイス・カナダでの5年5カ月の留学生活を経験しましたが,各々の留学先のボスであるRob(H. Robson Mac-Donald,ルードウィヒ癌研究所副所長)とPam(Pamela S. Ohashi,オンタリオ癌研究所・トロント大学教授)が私の研究の興味を尊重してくれたのは何より幸運でした.そして小安重夫先生(慶應義塾大学医学部教授)には私が独立するチャンスをいただきました.すべてのボスとは今も交流が続いており,まったく違うタイプの5人のボスと出会ったおかげで,私なりに”めざすボス像”が朧げながら見えるようになった気がします.

秋田大学医学部生体防御学分野(旧寄生虫学講座)は秋田大学創設(1970年)以来,主に寄生虫学の教育と研究を行ってきており,免疫学会の会員の皆様はあまり御存知ないかもしれません.秋田大学医学部から私に託された使命は「免疫学の研究と教育」です.秋田大学への赴任が決まったとき,多くの先生方から貴重なご意見をたくさんいただきました.楽天派(?)の先生方は,「焦らずに5年ぐらいかけてゆっくり免疫学のラボを立ち上げなさい」「寄生虫学の勉強もするの?大変だな」「秋田は酒がおいしいよ!美人が多いねえ」.激励も兼ねてのアドバイスとポジティブに解釈しています.厳格派の先生方は,「教授は所謂すごろくの”あがり”ではない」「焦らないとダメだ」「遅くても2年以内には初めの論文を出さないと忘れられる」.

私も基本的には後者の意見に賛成ですが.個人の資質の限界もあり,最後は自分の体力や精神状態と相談した上で「焦り」の度合いを決めることになりそうです.一流の料理人は平凡な材料からでもおいしい料理を作り出すことができます.平凡な料理人にも素晴らしい材料と調理場があればおいしい料理をつくることは難しいことではないでしょう.また,基礎講座の教授にとっては”研究が全て”であり,研究者は他の誰もが見い出していないものをいち早く見い出し証明することによってのみ自分の存在意義を確認することができることも承知しているつもりです.私の真の実力が試されるような気がしています.

私は留学中に自然免疫系を担うNK細胞,NKT細胞,上皮内γδT細胞の研究を行い,それらリンパ球に共通かつ必須の分化因子がIL-15であることを見い出しました.帰国後も,IL-15が樹状細胞やマクロファージの機能成熟に重要であることを明らかにできたことは幸いでした.私の研究テーマには一貫性があるように見えるかも知れませんが,「いろいろやっていたら結果としてそうなってしまった」というのが正直なところです.小安重夫先生の御好意により分家先の秋田でもIL-15の研究をテーマの1つとして続ける予定でおり,今後はin vitroで見い出した知見の生体内での重要性をさまざまな病態モデルを用いて検証してみたいと考えています.

免疫系は,さまざまな外来性病原体の侵襲から生体を守るという古典的な概念にとどまらず,個体の恒常性維持に必須の監視システムと理解されています.私は今後も,この免疫学はもとより生命科学の”謎解き”の世界に魅了され続けていくに違いありません.しかし,生命科学の神秘の前では人間の英知(私の英知だけかもしれませんが)など微々細々たるものです.これまで多くの自然科学者が寄ってたかって”謎解き”をしてきたにも拘わらず依然として謎だらけです.また,少々品のない言い方かも知れませんが「遂にあこがれの女性のハートを射止めた(大発見をした)と思っていたのに,冷静になって考えてみたら手も繋いでいなかった(大した発見ではなかった)」こともしばしばです.「この世界で生かされて謎解きをさせてもらっている」という姿勢を忘れずに粘り強く研究を続けていくことで何かを形に残せれば! と考えています.今後とも免疫学会の先生方の御指導の程よろしくお願い申し上げます.

JSI Newsletter Vol.11 No.1 2003年4月より