エッセイEssay

年相応の研究者に見られることを夢見て

1987年に東北大学大学院歯学研究科で免疫学の研究を始めてから15年の月日が流れた。1992年に東北大学を離れてからスイス・カナダでの5年5ヶ月の留学生活を経て、ついこの前慶應義塾大学に就職したと思ったら”あっ”という間に4年が過ぎた。このぐらい書けば私の年齢は凡そ御想像がつくであろう!?ところが・・・である。事件は1996年夏、トロント留学中に起きた。当時のボスであるPam (Pamela S. Ohashi) のところには2ヶ月に1度程度の頻度で免疫学の大御所の訪問があり、夜はPam、大御所、研究室の希望者3〜4名で食事というのがお決まりのコースであった。その日はRolf Zinkernagel博士(この2ヶ月後、「自己と非自己の識別」に関する業績でノーベル医学生理学賞受賞)がPamを訪ねていた。食事中英語で話すのもしんどいのでこのような機会を極力避けていた私だが、Zinkernagel博士と食事できるのは最初で最後かもしれない!?と一念発起して参加した。何と席はZinkernagel博士の隣!各人が研究の紹介をさせられた後の彼と私(当時34才)の会話。「ところで君はいつ学位を取る予定?」「私はポスドク(しかも2回目)ですが・・」帰国後も同じような事件は続く。2000年のマクロファージ研究会(京都)でのベルギーのモーザー博士と私(当時38才)の会話。「私の研究室にポスドクで来る気ある?」「私は既に日本でポジション(助手)を持っているんです。」「ゴメン、若く見えたから!」この辺りまでは”さもありなん”。なぜなら外国では一般的に日本人は年齢より若く見られるからである。ところが今年4月(当時40才)の胸腺研究会(京都)で駅からタクシーに乗ったときのこと。後部座席には東海大の垣生園子先生と現在のボスである小安重夫先生、そして運転手の隣の席には私。運転手曰く、「今日は入学式ですか?」3人とも唖然!である。運転手はなんと私が新入生(大学)で後部座席の先生方は私の両親だと思ったのである。最後に5月の東京免疫フォーラムでのこと。私の発表が終わったあとの懇親会でどこかの大学院生が小安先生に、「先生のところの大学院生(私のこと)の話、面白かったですねえ。」ここまでくるとまったく嬉しくない。今回、内藤財団の選考過程に面接がなかったのが幸いして運良く2001年度科学奨励金をいただくことができた。貫禄をつけてハッタリを効かせながら発表することは研究の本質とは直接関係ない(と思いたい)が、今後も続くであろう学会発表や面接などの機会に自分自身をいかに年相応に見せられるかが、私が一人前の研究者として認められるための重要なポイントであることも恐らく確かである。

内藤財団時報第70号(2002年9月発行)より