1991年、日本学術振興会特別研究員として研究職に身を置いて以来、東北大学歯学部助手、ルードウィヒ癌研究所(スイス)およびオンタリオ癌研究所(カナダ)ポストドクトラルフェロー、慶應義塾大学医学部助手・講師、秋田大学医学部教授を経て、2009年3月、東京医科歯科大学難治疾患研究所教授に着任しました。みなさま、改めまして、どうぞ宜しくお願い申し上げます。その間18年余り、長くても一カ所に6年半、その度に新しい人間関係を構築し生活を立ち上げていく労力は相当なものですが、一方刺激的で楽しくもあります。私は怠惰者ですから、半ば強制的に自らを新しい環境におくことが自分をimproveするためのよい機会と捉えています。
免疫学には夢がある!とは恩師熊谷勝男先生(東北大学名誉教授)のことばです。私もそう思います。当時歯学部の学生だった私はこのことばに魅了され(=騙され)研究の道を志しました。しかしながら、閉塞感が充満している今の時代、当時の様にのんびり研究を行うことは難しくなりました。日々研究成果を問われ、成果が出ないと研究費がとれない=研究継続不能という悪循環を逃れるため、多くの研究者は、その先には先細りの研究しかないことに薄々気付きながらも、あたかも自ら踏襲してきた研究路線以外興味がないフリをして、成果の出やすい目先の研究に走りがちです。しかしながら、苦しい時こそ必要なのは「無駄な研究」ではないでしょうか。教授にオーダーされた研究でもなく、採択された科研費の研究課題に即した研究でもなく、個人のmotivationと自由かつ大胆な発想に基づく遊びの研究です。この手の研究はdutyの合間に行わざるをえないため時間の捻出が難しく、かつ無駄な結果に終わることがほとんどですが、確率の少ない「当り」こそ将来への布石です。そしてその「当り」は、ギリギリの精神状態に追いつめられた息の根が止まる寸前の研究者の眼前に突如として現れることがあります。
研究は大きな成果を求めるほど不断の努力を要求されます。電車に乗っている時も風呂で頭を洗っている時も夢の中でも「あの実験はどうすればよいか?この結果にはどういう意味があるのか?」等々常に研究のことを考えています。答えを得られぬまま過ぎることがほとんどですが、私の拙い経験では、この一見「無駄な瞑想」に割く時間が多ければ多いほど、突然答えが見つかる(ひらめく)可能性が高まるような気がします。忙しい雑務の合間の休憩時間に瞑想する程度では、ひらめきが生まれる可能性は皆無です。私の最大のストレスは、この「無駄な瞑想」に割ける時間が昨今著しく減ったことです。若い研究者は「無駄な研究」と「無駄な瞑想」漬けの日々を送るべきです。
すべての研究成果は先人たちの多くの成果の上に積み重ねられていきますが、それでも他人が命がけでとった獲物を食して日々生計を立てるのではなく、自らとった獲物を多くの人に分け与えることができるような研究成果に出会えれば、この世に生まれ研究に人生を賭して良かったと思えるような気がします。まだまだそのレベルには達していませんが、もがきながら日々研究を続けることで、新装開店の地お茶の水からも、みなさまに多くの研究成果を報告できればと思っています。そして最後に、次代を担う若き研究者の「無駄な研究」に幸あれ!